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祝! 「週刊すまいる情報」祝1000号記念企画
「私の1983年」〜思い出の一コマ〜
週刊すまいる情報は、1983年1月27日「週刊プリーズ」第1号を発行以来、本年12月9日号をもって1000号を迎えました。”黄色いすまいる”として親しまれ、今日まで多くの皆様にご愛読いただいている「週刊すまいる情報」。今回は、これまでにお寄せ頂いた暖かいご支援に対する感謝を込めて、読者の皆様ご自身の「あなたの心に残る1983年、思い出の一コマ」をお聞かせいただき、1000号記念の紙面でご紹介させていただきました。

皆様それぞれの思い出に残る1983年をここでもご紹介したいと思います。

たくさんのご投稿を頂きましたことに、深く感謝申し上げますと共に
今後とも「週刊すまいる情報」をご支援いただきますよう、よろしくお願いいたします。

「1983年思い出の一コマ」 サークルの皆様から 私たちスタッフも
「私にとっての1983年」 「第二の人生の始まり」
15歳、中学3年生、夢いっぱいで行きたい高校があって、目指して頑張ってました。
夢のスタートがあった年です。夢はかなわなかったけど、その高校で出会った夫と幸せになれたから、まっ、いいかなぁ。
息子が14歳、夢もまだ見つけていない様でやきもきしていますが思い出いっぱいの中学生活をすごしてほしいと思います。15歳の冬は勉強してた思い出です。
(西台:M・N様)            
私が65歳になったのが昭和58年の7月7日で、この年に永年勤めた会社を退職、さて、これから何をしようかと思っていた矢先友人に誘われ詩吟を始めた。
書道もこの年から先生について習い始め、以来今日まで続けている。囲碁は若い頃からやっていたが、これら同趣の方達と年数回の温泉巡りの旅行など楽しんでいるためもあって、87歳の今日迄幸いのこと、これといった病気もしたことがない。
私の場合、昭和58年が趣味などを通じての第二の人生の始まりであった。

(高島平:A・M様)
「公私共に充実していました」 「再就職の年」
1983年頃は、企業向けのヴィデオ制作が大忙しの頃で、天手古舞していました。
しかし手帳を繰ってみると、その割にはゴルフと英会話クラスはしっかり週一は行っていたようで、我ながらよく働いていたものだと驚いています。
しかし、そのフットワークのおかげで、90年に発足した英会話サークルSTREAMも貴誌との交流が持てたものと思っています。


(高島平:O・E様)         
再就職のため上京した年。
通勤の日比谷線で痴漢に触られまくり。余程美人なのかと鼻を高くしたら、スキだらけの田舎っぺと兄に怒られた。
あの頃は四畳半に流し・ガス台だけのアパートが普通だったが、一緒に銭湯に行ったり、おかずを分け合ったり、貧しいなりに隣人と仲良く楽しい時代だった。       

(高島平:N・K様)
「無我夢中の年でした」 「働き盛り」
当時は無我夢中でしたが、今はなつかしく楽しい時代でした。
いつも小走りに何かにつき動かされるような毎日でした。
息子は高1、娘は中2、教育費という大波がひたひたと足元におし寄せて、漠然とした不安があった気がします。偉そうに財産ないかわりに教育だけは付けさせてあげたい等と、貧乏人が大胆な考えを・・でも有難い事に病気、事故なく過ごしてくれましたので、私の一生の中で一番頑張れ、張り合いがありすぎる毎日でした。
今はそれぞれが独立し、世間で言われるスープの冷めない距離に娘が住み、2人の暮らしにもどっています。後は長患いせず心静かに過ごしたいと思っています。

(高島平:K・T様)
1000号発行おめでとうございます。
まさに継続は力なりです。創刊は昭和58年と聞きました。
丁度その頃は、戦後の拡大景気も終わりに近くバブルの少し前。私も45〜6歳の働き盛り、ある銀行の地方支店に単身赴任。最初の心構えはどこ吹く風。2ヶ月もたたないうちに毎日飲み屋通い。休日はゴルフ。この生活を約3年。
おかげでカラオケとゴルフは上達。今思えばまさにバブル前の浮かれ気分の時代でした。
平成に入りバチが当たり崩壊が始まる。以後10余年苦しみの時代。反省しきり、やっと落ち着いたと思ったら定年。人生、まあこんなもんだと悟った次第。残りは人様が喜ぶことに努力しようと思う昨今です。

(高島平:O・N様)
「保育園の年長さんだった末娘」 「便利になった里帰り」
S.58年、私は43歳だった。末娘が保育園の年長さんで、七五三の記念に園長と写したアルバムがある。
今年65歳になった私は、知人と「夏目漱石を読む会」を開いている。今月は漱石43歳の時の作品『門』をとりあげた。その中に主人公が家屋敷を4,500円で売る話が出てくる。今ならさしずめ4,500万円か?
それにしても、昔の43歳は偉かった!

(蓮根:O・N様)
83年、何があったかなーと机の上の本を手に取り見ていると、上越新幹線開通とありました。
私は新潟出身なので、へぇ〜そうなんだぁ。
二十歳の時に上京し、その頃は上越線で上野から特急で4時間、それから在来線に乗り換えでしたが、大宮から約2時間で到着し、大変便利になりました。そういえば指定券も買わずに、駅に停まっている新幹線に乗れば良くなった事を思い出します。

(高島平:A・R様)
「“脱サラ”が話題の年」 「初孫誕生」
毎回イエロー地の「週刊すまいる情報を楽しみに拝読させていただいております。
今回、企画の応募テーマを拝見して今年の最後のクリーンヒットになるような気持ちになりましたので、応募させていただきます。
1983年は「脱サラ」特集として、その年の総合雑誌に「新春スペシャル脱サラ9人衆」と活字になった年です。
今では、公務員が流行で「守り」の姿勢のようで寂しく思います。一度だけ「脱サラ」挑戦いかがでしょうか。

(高島平:R・H様)
大正生まれの私は、昭和と同い年です。
従って58年は58歳でした。念願の家を持てて、47年4月に入居し、高島平の5階建の5階に住んで、11年目を迎えた年でした。
上の息子2人は結婚し、初孫に女の子が生まれて、男の子しか抱いたことのなかった主人は、目を細めての好々爺でした。3男はまだ成人前だったので、親子3人でのんびりと暮らしていました。

(高島平:W・Y様)         

ご投稿いただいた方々それぞれの胸の中にある1983年。大切な思い出の一コマをお聞かせいただき、本当にありがとうございました。
「1983年思い出の一コマ」 サークルの皆様から 私たちスタッフも 


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